60.小学生から英語を学ぶべきか

  「小学生のうちから英語を勉強させたほうがよい」ということに、
ほとんどの読者は賛成だと思う。
また、学校で習おうが習うまいが子供たちのまわりに英語はあふれている。
それにもかかわらず、教育関係者の世界でも、また、識者の間でも、
小学校で本格的に英語を勉強させようという考え方は支配的にならないようである。

  消極的な意見の理由の主たるものは、
日本語をしっかりものにすることが先決ということだろう。
たしかに、母国語(マザー・ラングウイッジ)というべき言語が確立しないと
知能が発達しないのはたしかである。
あるいは、中学生や高校生で外国に移ったり帰ったりする子どもの中には、
複雑な思考ができないような子どももよくいる。

  難しい社会科学や哲学を学ぶときには、
感覚でなく言語で厳密な定義や論理的思考を必要とする。
そのときに、複数の言葉ができるがどれも小学生並みではうまくいかない。
だから、たとえば、外交官や商社員の子どもには、国際性豊かで
ずば抜けた逸材も多いが、反対に大学卒業まで行けない人も少なくない。
あるいは、「読み書きができればあとで追いつける」、
「日常会話だけ達者にしゃべっても軽蔑されるだけ」とか、
ユニークなところでは、「第二母国語として自然に学んでしまうと
そのほかの外国語を習得するときに経験として役に立たない」といったことをいう人もいる。

  しかし、少なくとも、国内に住む日本人の子どもに外国語を少し勉強させたところで、
悪いことはなにもないはずである。
とくに、英語については、ある程度、英語の基礎知識をつけさせてやりさえすれば、
テレビなどあらゆるところにあふれている英語から少しずつでも吸収して行くのに、
それをやらないと、音波や意味のない記号として通り過ぎて行くだけということになって
もったいないことである。

  しかし、中央教育審議会は1996年の答申で、
「教科として一律に実施する方法は取らない」としたが、
同時に、国際理解教育の一環として
「総合的な学習の時間を利用して英会話等に触れる機会を持たせることが適当である」とした。
翌年の教育課程審議会の「教育課程の基準の改善の基本方向(中間まとめ)」も
この方針を踏襲し、「児童が外国語に触れたり、
外層の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど」の「体験的な学習活動」が必要としている。
これは実質的には小学校における自主的な外国語教育導入の奨めと解することもできる。   そこで、「総合学習とは、英語とITを看板を掲げずに教えろということか」
といううがった見方もあるくらいである。

  もちろん、ただし、小学校での外国語教育の導入には、多くの課題が残されている。

(1)教科書もないなかで、具体的な内容や方法について、
各学枚の先生の創意工夫にゆだねるしかなくなる。

(2)小学校では教科担任制をとっていないために、英語専門の教員がいない。
英語と無縁だった先生たちが英語の授業を担当することは難しい。

(3)外国人講師に教えてもらうことがよいが、
現在、総務省・文部科学省・外務省・自治体の協力による
JETプログラム(外国青年招致事業)で日本に来て各地に配属されている
ALT(外国語指導助手)は五〇〇〇人ほどであり、十分に対応できない。

(4)小学校の間で英語教肴にあてる時間数の違うと、中学進学後の調整が難しい。

  しかし、どうしたところで、小学校から英語学習を始めた子が中学校に入ったあと
有利に立つのは必須であり、総合学習で効果的に英語を教えないと
親からの不満が高まるのは間違いなく、結局、
本格的な英語教育の導入へなし崩しに進まざるを得ないのではないか。
逆に言えば、それが分かっていながら、きちんとした科目の形での導入への道筋を
つけなかったことは、将来において悔やまれるようになることは避けがたい。

  異文化の理解とかが目的であるべきで、技術としての問題ではないという人もいるが、
すでに子どもたちのまわりには、グローバリズムの風が十分に吹いている。
学校で教えないとうまくいかないのは、まさに技術としての部分なのではないか。
もはや、格好などつけているときではあるまい。

  私が役所に入った1975年ごろは、「外国語ができない」とか、「海外出張は嫌だ」、
「毎朝みそ汁を飲まないと調子が出ない」などと自慢する人がいた。
しかし、10年ほど前から通訳なしで交渉することを拒否できなくなった。
日産自動車が典型だが、ある日、突然、英語が社内公用語になったりする。
TOEFLやTOEICで一定以上の点を取らないと管理職になれなかったり、
退職を勧奨されたりするのがもはやいまですら現実である。

  政治の場でも、いまのところ、サミットでも
みんなが英語で交渉できるところまでいっていない。
江沢民は英語やロシア語をカタコトというくらいだし、
プーチンはドイツ語はともかく英語はどうだろうか。
しかし、あと20年もすれば英語での交渉能力のない首脳というのは考えにくい。

  そういうなかで、意地を張って英語の必要性について
浮き世離れした議論をすることは子どもたちを裏切ることになるだろう。
子どものときから始めておけば、
たとえば、英語の発音や聞き取りを感覚的にこなすようになれるし、
まったく語学は苦手ということにはならないところまではいける。

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