62.総合学習の時間に思う

  私たちが大学で法律を習ったころ、アメリカから「ケースメソッド」というのが導入され
法学部の授業でも採り入れられ、民法の星野英一とか商法の竹内昭夫といった
当時としては若手の先生方が取り組んでいた。
これまでのように、基本的な考え方、法律の内容、判例、学説などについて、
分かりやすいように名調子で解説するという講義から、具体的な事案にそくした形で、
どう問題を解決していくか質疑応答を繰り返しながら考えさせるという方式だった。
それを、数百人の大教室でやろうというのだから大変で、
あらかじめボランティアの指定回答者など決めたりした。

  それでは、これまで講義でやっていた基礎知識はどうなったのかといえば、
それは教科書などを見て自習しておけということになったのである。
つまり、それまでは、「基礎を教える、応用は自習」だったのを、
「基礎は自習しておけ、応用する力を講義で養おう」という考えに転換したのである。
限られた時間しか講義できないのなら、応用こそ教授が学生と一緒に勉強する意味が
大きいという考え方で、たいへん評判もよかった。

  総合学習でめざしている方法論もそういうもののはずで、予習や復習を通じて、
知識習得は家庭でやるということでなくてはならないはずである。
ところが、そうでなくても、自主的には勉強しなくなっている子どもたちに
そんなものは期待できない。
そこで、結局は、多くの学校では、総合学習を補習の時間に使うことになりそうだという。

  しかも、総合学習をじょうずに効果的に進めていくためには、
かなりの慣れと知識や技術の習得が先生の側に要求されるだろう。
いいかえれば、当初は時間だけの効果は望めないということである。

  それを、週休二日の導入による全体時間数削減と同時に実施に移そうというのは、
あまりにも欲ばりとしかいいようがない。
いろんな人が自分のやりたいことを指導要領の改訂に押し込んだあげく、
体系的な整合性のない政策が出来上がったのだ。
むしろ、授業時間数を増やしながら導入して、しかるのちに、
授業時間数の削減を図るというような手順で進められるべきだったというべきである。

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