236.日欧アスペン会議でのスピーチ

リヨンで私がしたスピーチの原稿を掲載します。
前半をフランス語で、後半を日本語で話しました。
日本語がぎこちなくなっているのは、フランス語や英語に
通訳しやすいような表現をこころがけたためです。
なお、実際には、この草稿より少し短くしました。

{11月17日 日欧アスペン会議におけるスピーチ}

  まず、この会議において発言の機会を与えていただいたことに感謝する。

  私は、通産省を辞職したあと、関西地方に住んでいるが、京都の主要な伝統産業である西陣織は、明治維新のあと、若い技術者たちがリヨンに派遣されて技術を学んだことによって近代化されたものであり、リヨンの都市に対して京都人たちが感謝していることを申し上げたい。

  この日欧アスペンに私が参加するのは、1991年のにおける第二回の会議以来二回目である。1991年の第二回「日本欧国際会議」に私も参加したが、そのとき、こんなやりとりがあった。

欧州側:日本への企業投資に障害が大きい。

日本側:我々は日本への欧州企業の投資を歓迎している。特別の障害はないと思う。

欧州側:既存企業を<買収や経営参加>するのが難しい。また、子会社を設立しても良質の人材を雇用することが困難である。

日本側:日本では企業は売買の対象ではない。外資による企業買収は将来ともに一般化はしないだろう。外国人取締役が大企業で増えるとも考えられない。人材は育てるものであり、他企業からスカウトするものではない。日本で成功したかったら、日本のやり方に従うべきである。

このやり取りのあと、私は次のような介入を行った。

日本側の分析は、日本社会における現状としては正しい。確かに、日本社会は変化を決断するのが遅い。しかし、決断すればたいへんなスピードで変化する。それは、明治維新や戦後改革をみても分かるとおりである。すでに、若い人たちの意識は変わりつつある。私は日本の変化について楽観的だ。

そうしたら、ある欧州側の出席者であるソテール知事から「私はそれを願うけどね」というメモが私にまわされてきた。

10年後の今、私の予言は現実になっている。 多くの日本人がニッサンとルノーの提携は模範であると評価している。そして、フランス人であるカルロス・ゴーンは日本でもっとも尊敬される経営者の一人になっている。

また、同じフランス人であるフィリップ・トルシエがワールドカップの日本代表チームの監督として高く評価されていることも欧州モデルが日本とって有益であることを示唆する。

  さて、この場で、私に与えられた課題は日本の経済成長の可能性と課題についてのものである。

  日本経済は1960年からオイルショックの時代まで10%ほどの経済成長を継続した。オイルショックからバブル崩壊までは4%あたりで推移した。その後は、2%あたりで推移しているが、テロ事件に伴う世界不況の影響を受けマイナス成長を余儀なくされそうである。バブル経済の時代には5%の成長が実現したこともあるが、その反動はその後のダメージをより大きなものにした。

  いま、日本経済はバブル経済の後遺症に悩んでいる。国家財政の赤字解消、銀行などの不良債権を処理することは緊急の課題である。しかし、仮にそれの処理に成功したとしても、果たして、どの程度の成長が可能かについては意見が分かれる。

  私自身は、予想される結果については楽観的ではない。だが、潜在的には日本はかなり高い成長を可能にする力を持っていると考えている。というのは、これまでの、日本経済の成功はごく一部のセクターにおける成功の賜物であり、同じような努力を他のセクターでも行えば、現在よりはるかに競争力の高い経済が実現可能だと考えるからである。

  つまり、私が考えるところに拠れば、現在行われている、いわゆる「構造改革」の最も重要な目的は、これまで十分に競争が行われていなかったような分野群においても、国際的に高い水準のパフォーマンスを実現することである。それは、規制緩和や政府関与の縮小によって実現されるだろう。

  多くの人は次のように考えている。日本の<経済社会>システムのすべての部分は高度成長期において良く働いていた。しかし、いまでは適合性を失っている。しかし、これは正しい理解ではない。国際競争に直面する分野などは厳しい努力を行ったが、多くの分野でのパフォーマンスは悪かった。<農業、金融、医療、建設>などの分野の効率性は低かった。農産品価格はしばしば国際価格の数倍となった。建設部門では談合によって正常な競争が行われなかった。私はフランスの土木局で入札制度について研究し、より競争的なシステムの導入を日本で主張したが、それが、実現するには20年近くがかかった。あるいは、情報通信分野におけるNTTの独占は、この分野における発展を制約した。日本経済の高度成長は、<電機や自動車>のような一部の産業分野の貢献によっていた。

しかし、もはやこれらの競争力の強い産業群だけの力で日本経済を支えることは難しい。だからこそ、これからは、これまで、高いパフォーマンスを実現できていなかった分野における改善が是非ともに必要なのだ。これらの分野は、政府の保護のもとで優遇され利益を得てきた。経済成長の果実は、貢献により分配されず、政治力によって分配されていた。保護を受けるセクターは強い政治力を持っている。<関係業界と政治家と官庁>の鉄のトライアングルは変化を妨害してきた。

  また、同時に、日本の<経済と社会>は、<グローバリゼーションや情報化>による<大きな変化>のなかにある。このために、<行政と企業経営>も大胆な決断をしなくてはならない。これが構造改革の主たる目的であるし、その結果として日本経済は予想以上に高い成長を実現することもできよう。 しかし、こうした構造改革が成功したとしても、日本経済がその高い潜在化可能性を現実のものとするために、日本が克服すべきかなり根本的な問題が存在する。

第一は、日本人たちが最善の努力を経済成長のために払う意志を失っていることである。この経済苦境の下でも、多くの日本人が<経済はかつてほど重要でない>と考えている。 日本では「経済成長」という言葉がマイナスのイメージで語られるようになって久しい。少なくとも、1970年代以降は、経済成長を否定して他の価値観を実現することが正義であるとさえ考えられた。私は通産省に1975年から1997年まで働いたが、その間において、産業の競争力強化や高い成長率を実現することが通産省において課題であったことは一度もなかったといってもよい。輸入を減らし輸出を減らすこと、海外に投資をすること、すぐに役に立つ産業技術の開発より人類の未来に貢献するような研究開発をすることなどが求められた。高い成長率は努力をしないでも実現が可能だったからである。いまで、あらゆる世論調査はこれからの日本にとって経済成長はこれまでに比べてプライオリティしかないという日本人の意向を示している。国民が経済成長を望まないのにそれを実現することは困難である。

  第二は、人口問題である。少子高齢化は、社会保証制度や財政の将来に大きな不安を増大させているだけでなく、人口の減少の可能性そのものも大きな問題となっている。なんといっても、日本は人口大国で、私が子どものときには世界五位だった。日本企業は、大きな国内市場で基礎的な売り上げを確保した上で、海外市場をねらえたわけである。ところが、中国、インド、米国、インドネシア、ブラジル、パキスタン、ロシア、それに最近ではバングラデシュにも抜かれて九位になった。また、ヨーロッパ統合により、ヨーロッパが単一の市場となったいま、仏独英伊に比して人口が多いという有利さも発揮し得なくなっている。日本が世界の政治、経済において占めてきた地位のかなり大きな部分は、人口の多さと、単一で均質な市場の存在にある。現在の趨勢では日本の人口は、2007年ごろから減少することが予想されている。日本経済の不振の原因として、将来の不安による需要の手控えが指摘されているが、これの根本原因は人口問題であると私は見ている。

  第三は、教育水準の低下である。日本の経済的成功の最も説得的な理由のひとつは高い教育水準である。日本は明治維新ののちに、ヨーロッパ各国の教育制度を調査し、各国の最良の側面を採り入れることによって、優れた教育制度をつくりだした。さらに、第二次世界大戦ののちには、アメリカ占領軍による強制はあったにせよ、米国の考え方を採り入れて、高い進学率に応じることができる教育制度をつくった。また、日本人は、子供に高い教育を受けさせることが高い社会的地位と経済的成功を保証することを知っていたので、教育熱心であった。しかし、私には日本人は勉強熱心であることに疲れたようにみえる。子どもたちは、勉強しなくなり、社会的な不安は教育の内容が高すぎることであるという声におされて、カリキュラムは80年代からよりレベルの低いものになってきているが、2002年からは小学校では30%の削減が行われ、円周率は3.14でなく3であると教えられることになる。

  こうした問題を克服する明確な意志を持つことが日本が高い成長を実現するためには不可欠であり、そのことについて、かつて、同様の問題に悩み、それを克服したヨーロッパの助言は大きな意味を持つであろう。

それに限らず、構造改革の成功のためにも、ヨーロッパ・モデルから学ぶことは、重要な意味がある。

日本ではあらゆる組織において強力なリーダーシップを取ることが困難である。年功序列システムや頻繁な人事異動が理由である。難しく重要な変化は先送りにされている。

大臣になるためには10年以上国会議員でなくてはならないのが普通である。政府機関の局長はすべて50歳以上である。大企業においても、50歳以下の取締役は稀である。

とはいえ公的セクターでも、企業経営においても、変化は始まっている。従来は、政務次官というポストがあったが、名誉職的なものであった。しかし、今年から、副大臣、政務官というポジションが創設されて、フランスにおけるセクレテールデタのような仕事をしている。

民間企業では、<副社長又は専務>から次期社長を選ぶというのが習慣だった。しかし、最近では、取締役のなかで最も若い一人を社長に選ぶことも珍しくない。

しかし、それでも、年功序列の秩序と、諸部門の意思を尊重しながらの最終意志決定は、日本社会のあらゆる分野で堅固である。大胆な改革への提言は行われるが、在来型の組織はできるだけそれを最小限に実行しようと試みる。

しかし、この躊躇には正当な理由もある。親米派は米国モデルが普遍的だと固執する。しかし、米国モデルの導入は成功しないことが多い。前提となる社会構造の違いが原因である。

むしろ、欧州モデル導入することが日本の構造改革にとって有益であろう。グローバリゼーションや欧州統合に対する欧州各国の対応についての研究は示唆に富むだろう。たとえば、いくつかのフランス行政制度群を導入すれば、現在行われようとしている改革よりはるかに容易で効率的な改革が可能であろう。

しかし、最近、欧州をモデルにしたいくつかの改革が成功している。介護保険制度はドイツの制度をモデルにして成功を収めつつある。民主党はイタリアにおける政界再編をモデルにして最大の野党になることに成功した。

そして、フィリップ・トルシエとカルロス・ゴーンという二人のフランス人は改革を実現することができる良いリーダーとして評価されている。

日本では一流選手としての実績がなければ監督になれない。しかし、Aリーグの選手としての経験がないフィリップ・トルシエがサッカーの日本代表チームを急速に強くしたことは日本人に大きな感銘を与えた。彼が日本人に教えた最も重要な点は明確な目的意識である。

カルロス・ゴーンは日本の自動車会社における最初の外人社長ではない。マツダの社長は以前からフォードから送られている。しかし、彼らは、Fordのために仕事をしていると評価されてきた。カルロス・ゴーンはルノーのためではなくNissanの社員たちのために働いていると評価されている。それが彼の成功の理由である。カルロス・ゴーンは日本人をよく理解することに成功した。カルロス・ゴーンは現代的な企業経営を容易に理解できるような方法で日本人に教えた。

この二人のフランス人たちの<Descartesの子孫>としての精神が日本人に新鮮であると受け入れられた。私は、彼らの成功は欧州モデルの日本における可能性を示唆していると信じる。

日本が200年間の鎖国のあと近代化をしようとした。そのとき、日本は欧米諸国の制度を慎重に調べた。そして、分野ごとに、もっとも日本にとって適したモデルを選んだ。地方制度や教育はフランスをモデルにしている。陸軍はドイツをモデルにしている。海軍は英国に学んだ。

当時も、米国の制度をそのまま導入するべきであるという意見も多かった。1871年から1873年までの二年の間、政府のナンバーツーである<岩倉公爵>を団長とする使節団が欧米の制度を調査した。米国人たちは彼らに米国の制度こそ普遍的であるといった。しかし、欧州の友人たちがそれが真実でないことを彼らに教えた。とくに、ビスマルク宰相の助言は適切だった。いま、そのときと同じように、再び欧州モデルの導入は日本にとって有益であろう。

欧州にとっての日本モデルの意味については、あまり多くを書かない。ここ20年ほど多くが語られたのが理由である。ただ、第二次世界大戦後において、日本は最も根本的な近代化を諸分野で行った国であることは常に想起されるべきである。いまなお、日本のシステムは世界で最高のものであることが多い。その意味で、日本モデルは常に欧州にとって有益であろう。米国の経済的な復活には、日本の生産方式などを学んだことが寄与している。あるいは、スポーツの分野における興味深いエピソードを紹介すれば、今年はイチローという野球選手が米国の大リーグに参加しトッププレーヤーとなったことに日本人は熱狂したが、日本のプロ野球でプレーした米国の選手が帰国後、選手として、あるいは監督として成功することが多いことは興味深い。

しかし、日本は、なお美点の数々を持っている。国民の勤勉さ、高い教育水準、質のよいインフラ、良好な衛生状態、治安の良さ。これらは、日本国民が最善の努力をなすなら欧州諸国や他のアジア諸国より豊かな活力ある国であることを保証するものだ。日本は必ず復活する。日はまた昇るであろう。ただ、それが、数年のうちなのか、数十年、あるいは鎖国が二百年つづいたようにはるか先のことなのかは分からない。私は、日本人が問題を正しく自覚することにより、その時期が少しでも早いものでありたいと考え、努力したいと思う。

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