351.KBSで5月26日(日)に放送された「どうする京都21」で教育問題について文部科学省の課長、京都市教育委員会の教育企画監、高市早苗代議士らと議論した。その感想を番組のBBSに掲載したので転載する。
26日の番組に参加させていただいて感じたこと、補足したいことを投稿させていただきます。
 
国際競争について
 
 ファックスでの質問に番組中でも答えさせていただいたことですが、「国際競争」というテーマは少し分かりにくかったと思いますので補足します。たとえば自分の子供の将来を考えたとき、日本人の子供がみんな勉強しなくなれば楽によい学校に入れていいのにと思いがちです。しかし、日本人全体が勉強しなくなれば日本の国力が落ちますから、同じ学校を出ても期待できる生活は低くなります。ますます国際化が進むと、同じ能力をもった個人は国籍にかかわらず同じ収入を得るということになるでしょう。世界の人類が分け隔てなく平和に付き合う世界になればなるほど、皮肉なことですが、子どもたちは厳しく世界の同世代の子どもたちと優劣を競わざるをえないのです。親は子どもたちが世界の中でどう評価されるかを考えることが必要です。それは、一部のエリートだけのことでありません。いま、世界の企業はたとえば従業員がどの程度の英語力を持っているかを工場立地の重要な決定材料にしています。ごく近い将来、工場で働くためですら英語力などが問われる時代になることはまず間違いありません。
 
公教育の重要性について
 
  次に、幅広い教科の高度な内容を勉強するのは一握りのエリートだけで十分という意見が、右寄りの人にも左寄りの人にもそれぞれあります。しかし、普通のレベルの子どもたちが知力を磨いてくれるかどうかが豊かで文化的で民主的な国にとって不可欠なのです。第一に、人間が人間たるゆえんは教育を通じて知的に向上していくところにありそれを放棄することは人間をやめることといっても過言でありませんし、すぐれた文化を生みだしていくためにも国民全体のレベルが高いことが不可欠です。第二に、これまでの日本の繁栄は中間層の知的水準の高さの賜物であり、これを失うことは経済大国としての基盤を失うことになります。第三に、民主主義は国民みんなが政治について考える力を持ち、高い見識に基づく意見を持てることが前提です。高度な公教育は民主主義にとって不可欠な制度です。
 もちろん、すべての子供にまったく画一的な内容での教育をする必要はありませんし、日本の教育制度は少し柔軟性に欠けますから改善は必要です。しかし、英語や数学が嫌いならやらなくてよいならおそらく半分以上の子供はやらないでしょう。しかし、21世紀にあっていちばん大事なのは、この二つであることは100%間違いありません。残念ながら、子供に嫌でもたくさんの科目の勉強を強制することは必要なことです。
 「勉学意欲がある子供は所得などにかかわらずチャンスが与えられるならあとは自由でよい」という意見も正しそうで間違いです。親の意識が高ければ本人が好きでも嫌いでも勉強するが、そうでなければ本人が意欲がない限り能力を開花する機会をもてないというのでは困るのです。公教育の重要な役割は、すべての子どもたちの能力を最大限に開発して上げることにあります。

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