364.トルシエは準決勝に照準を合わせた
  日本は敗退したが、その理由を考えると、ブラジルとイングランドの勝者と戦う準決勝に最善を尽くす作戦を採ったことがあると思う。そもそものトルシエの目標は予選リーグ突破だった。就任以来というもの、目標を「予選リーグを突破して決勝トーナメントに残ること」という一点に絞って目的意識を明確にしてすべてを組み立ていた。  日本人にはどうしてもその場その場でベストを尽くすということを過度に重んじるところがある。それはそれで力を発揮することもあるが、大きな目標に向かったときには無駄が多い。それを、トルシエは、それぞれの試合でも、あるいは練習でも、そして、代表選手の人選でも、それ以外のことは考えないで頑固に信念を貫き通した。日本人ではこの頑固さ、そして、情緒に流されない論理的思考はなかなか無理なものであろう。  そして予選リーグを突破したときに新たに立てた目標は「準決勝でブラジル或いはイングランドに少なくとも善戦する。あわよくば勝つ」ことだった。はっきりいってトルコやセネガルに勝ってもそんなに日本サッカーやトルシエに対する評価が上がるわけでない。限界効用は小さいのだ。しかし、準決勝に勝つ、あるいは善戦すれば世界水準に達したとして確固たる評価をされる。そして、優勝、あるいは準優勝が可能になったはずである。 韓国はイタリア戦に照準を合わせた。それはイタリアのようなチームに善戦しただけでも満足感が高かったからである。たとえ奇跡の逆転などしなくても韓国民も世界も大満足だったはずである。トルシエもブラジルが相手だったら同じことを考えただろう。  だから、準決勝を目標にしたのは間違いでない。そして、トルコ戦に勝つだけだったら従来の布陣を変える必要はなかっただろうが、準決勝のことを考えれば予選リーグのフォーメーションを変更し、トルコやセネガルとの試合で試しておく必要があったからあえてそうしたのだろう。  予選リーグでは最後まで西沢を使わないなど基本的には同じような布陣で望んだ。それはチュニジア戦でも確実に勝つことを狙っていったからだ。 結果としてはトルシエは「賭に負けた」。しかし、この賭は十分に理解できるものだったように思う。  トルコ戦でのもほひとつの敗因は、雨と競技場と審判だ。圧倒的なサポーターの応援をバックに勝ち進んだ日本だが、雨の中でそれまでほどの熱気に欠けた。しもか、仙台のスタジアムは屋根が飾りのようなもので雨露も防げず、歓声もピッチを包み込むというものでなかった。なんでも伊達政宗の三日月の形のの兜をモチーフにしたものらしいが、見かけは美しいが風があると雨が吹き込むので雨合羽が必要だったし、歓声はむなしく風に流されていた。つまらない地元におもねたデザイン重視のあげく、サッカー場としての大事なところを忘れたお粗末だった。  審判は実に公平だった。予選リーグではやや地元有利の審判だったのと大違い。また、韓国・イタリア戦でのかなり極端な韓国贔屓ぶりとも違いが際だった。

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