外務省の経済協力局長に経済産業省の古田肇氏を充てるという川口外相の人事が話題になっている。古田氏は私にとっても役所とENA(フランス国立行政学院)の両方での先輩である。また、彼のフランス留学話を聞かなければ人事院の留学生試験を受けてENAに行きたいなどと思わなかっただろう。私がパリ・ジェトロで産業調査員を勤めているときにはニューヨークの産業調査員として活躍中でパリでも東京でも一緒に仕事をしたし、シャンゼリゼ劇場で彼と聞きに行った今は亡きスベトラーノフ指揮のソ連国立交響楽団(なんと懐かしい名前だろうか。今となっては甘美な響きすら感じる)のコンサートは私にとって最高の音楽会のひとつだ(ルスランとリュドミラ序曲、イーゴリ公、禿げ山の一夜、スペイン奇想曲、ラフマニノフの交響曲第二番などをやっていた)。
ここまで文化交流部長に元経団連専務理事の糠沢和夫、外務報道官元NHK記者の高島肇久といった人事はやむを得ないと我慢してきた外務官僚も経済協力分野での宿敵といわれてきた経済産業省出身者を経済協力局長にという大胆きわまる大臣の提案には仰天し、幹部が辞表覚悟で諫言と言った新聞記事も出た。
霞ヶ関の外からなら問題なくて、よその省庁は絶対に嫌というのも一般の人からすれば不思議な話だが、非行政官が大使になろうが本省幹部になろうが、本格的に仕事を自分ですることなどできないのであり、外務官僚におんぶにだっこのお客さんになるのが普通である。ところが、他省庁、それも良く似た仕事をしている役所の人間が来るとなると本当に仕事をするから困るのである。
まして、古田氏の場合には海外勤務経験がジェトロの産業調査員だけである。産業調査員という制度は、その昔に、総評議長だった太田薫氏が「役人に十分な予算を持たせて好きなようにやれということにして海外に出せばいい仕事をするだろう」と提案したことがもとになってできた制度だと先輩から聞かされた。たしかに、潤沢な予算をくれて接遇だ儀礼的会談だとかいう雑務に煩わされず、国境もある程度は無視して動ける当時としては珍しいポストだった。型にはまらない活動を認められる替わりに結果を要求されるだけに、外務省プロパーはもちろん当時の通産省から大使館に商務官として出向している同僚ともしばしば摩擦を起こすこともあるポストである。もちろん、外務省の人たちと幅広くお付き合いし協力もするのだが、時には出し抜いたなどといって大喧嘩になることもある。いってみれば外務省のよいところも悪いところを誰よりもよく知りうる仕事である。
それだけに外務省としても、この人事にパニックを起こしたことも当然と言えば当然である。しかも、村山総理の秘書官として活躍し、自社さ政権時代には参議院岐阜補選の与党統一候補として打診を受けた経緯もあるなど政治力にも定評があるのでそういう意味でも手強いし、語学の達人ということではないが、外国人の懐に飛び込んで説得力のあるわかりやすい話ができる極めて有能なネゴシエータでもある。