414.脱ダム宣言についての私の意見
  私は過去において日本の河川行政のなかでダムが必要以上に重視されていたと思うし、脱ダムのために戦ったこともしばしばである。だが、ダムがいかなる場合でも悪であろうはずもなく、その意味で「脱ダム宣言」というのが適切なものであるかについては疑問をもつところである。
 ダムの目的は利水、治水、発電と三つある。私はかつて通産省で工業用水課の課長補佐をつとめていたときに当時の建設省があまりにもダム一辺倒なのを疑問にもったものである。そのとき、通産省では造水対策室というのをつくって下排水の再利用や海水淡水化に取り組んでいた。また、その後、沖縄総合事務局に出向したときに
は海水淡水化を推進する立場にあった。
  私の計算では明らかにダムを新規につくるより海水淡水化や下排水の推進の方がコストが安い場合でもダム建設が優先されるのを苦々しく思った。その理由は、ダムの建設工事には高額の国庫補助が出るのに対して海水淡水化や下排水再利用の場合には補助率が低かったのである。
  私は渇水の時には一斉に役に立たなくなるダム一辺倒はどう考えても合理性がないといったのだが、海水淡水化などの場合には大規模なメーカーの取り分が多くなり地元零細企業が多く参入できる土木工事に比べて地元への恩恵が少ないということもいわれた。それも一理だが、社会的にも経済的にも大きな負担となる渇水をふせぐ
ためにはダム偏重はおかしいとずいぶんと議論したものである。
 また、利水計画が明らかに過大であることも多く、数字があわなくなると強引に産業用と割り振って工業用水側の負担を求めてきたことも多く、工業用水料金にもはねかえるといいう事態もみられたので、各県に見直しを求め、補助金もかなりうち切った。
 治水についても、百年確率とかどんどん洪水の可能性を広げていく姿勢はおかしいと思った。私はフランスの地方建設局で研修をしたことがあるが、人命にかかわらなければ、何十年に一回の洪水など起きてもそれを防ぐ工事のコストに比べて安いと割り切っていたのに比べて大違いだった。あるいは危険地域に住むことを辞めさえ
ることを考えたほうがコストが安いということもあった。
 発電についてはいうまでもなくクリーンエネルギーの筆頭で、これについては私は否定することは間違いだと思う。
 最近は、緑のダムという考え方がしきりと強調されるが、この期待はやや行きすぎだと思う。たしかに緑には洪水を防ぐ一定の機能がある。ただし、渇水をより深刻にするという問題もあるのだ。また、樹種や土壌にもよるが下流の水質の有機物を多くすることもある。さらに、従来型の公共事業にかわって木を植えようという考え
方については、はたしgて、山間の傾斜地での植林作業などがこれまでの公共事業に代替できるかについて疑問があある。山の仕事は危険できついなどまさに3Kの典型である。毒蛇もうじゃうじゃしていることも少なくない。人家からも離れていることも多い。そういう雇用がこれかtらの日本で期待されているとはとうてい考えに
くいのだが。
  いずれにせよ、利水、治水、発電、それぞれのなかでダムはあくまでもひとつの選択である。そのなかでかつてのようなダム万能論も困ったものだったが、ダムは恒に駄目といわれても容易に賛成はできない。
私は過去において日本の河川行政のなかでダムが必要以上に重視されていたと思うし、脱ダムのために戦ったこともしばしばである。だが、ダムがいかなる場合でも悪であろうはずもなく、その意味で「脱ダム宣言」というのが適切なものであるかについては疑問をもつところである。
 ダムの目的は利水、治水、発電と三つある。私はかつて通産省で工業用水課の課長補佐をつとめていたときに当時の建設省があまりにもダム一辺倒なのを疑問にもったものである。そのとき、通産省では造水対策室というのをつくって下排水の再利用や海水淡水化に取り組んでいた。また、その後、沖縄総合事務局に出向したときに
は海水淡水化を推進する立場にあった。
  私の計算では明らかにダムを新規につくるより海水淡水化や下排水の推進の方がコストが安い場合でもダム建設が優先されるのを苦々しく思った。その理由は、ダムの建設工事には高額の国庫補助が出るのに対して海水淡水化や下排水再利用の場合には補助率が低かったのである。
  私は渇水の時には一斉に役に立たなくなるダム一辺倒はどう考えても合理性がないといったのだが、海水淡水化などの場合には大規模なメーカーの取り分が多くなり地元零細企業が多く参入できる土木工事に比べて地元への恩恵が少ないということもいわれた。それも一理だが、社会的にも経済的にも大きな負担となる渇水をふせぐ
ためにはダム偏重はおかしいとずいぶんと議論したものである。
 また、利水計画が明らかに過大であることも多く、数字があわなくなると強引に産業用と割り振って工業用水側の負担を求めてきたことも多く、工業用水料金にもはねかえるといいう事態もみられたので、各県に見直しを求め、補助金もかなりうち切った。
 治水についても、百年確率とかどんどん洪水の可能性を広げていく姿勢はおかしいと思った。私はフランスの地方建設局で研修をしたことがあるが、人命にかかわらなければ、何十年に一回の洪水など起きてもそれを防ぐ工事のコストに比べて安いと割り切っていたのに比べて大違いだった。あるいは危険地域に住むことを辞めさえ
ることを考えたほうがコストが安いということもあった。
 発電についてはいうまでもなくクリーンエネルギーの筆頭で、これについては私は否定することは間違いだと思う。
 最近は、緑のダムという考え方がしきりと強調されるが、この期待はやや行きすぎだと思う。たしかに緑には洪水を防ぐ一定の機能がある。ただし、渇水をより深刻にするという問題もあるのだ。また、樹種や土壌にもよるが下流の水質の有機物を多くすることもある。さらに、従来型の公共事業にかわって木を植えようという考え
方については、はたしgて、山間の傾斜地での植林作業などがこれまでの公共事業に代替できるかについて疑問があある。山の仕事は危険できついなどまさに3Kの典型である。毒蛇もうじゃうじゃしていることも少なくない。人家からも離れていることも多い。そういう雇用がこれかtらの日本で期待されているとはとうてい考えに
くいのだが。
  いずれにせよ、利水、治水、発電、それぞれのなかでダムはあくまでもひとつの選択である。そのなかでかつてのようなダム万能論も困ったものだったが、ダムは恒に駄目といわれても容易に賛成はできない。

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