418.東北での官軍への差別に驚愕
「新庄ふるさと歴史センター」には新庄まつりの山車などが展示されていてなかなか見事。京都とも交流の深かった時代の文化遺産である。
 ところが驚いたのは戊辰戦争についての展示。新庄藩は最後は官軍についたのだが、展示の説明はそれを隠そうとでもするようなへんてこりんな内容なのだ。官軍と同盟軍との戦いとしてまるで人ごとのような記述が続き、「同盟軍は盛り返して新庄を奪還し町は焦土と化し藩主は秋田へ退いた」などと書いているのだ。新庄藩の立場でいえば、「賊軍の攻撃を受けて官軍の救援が遅れたために落城し城下を焼かれ藩主は秋田に後退したが、戦後、よく戦った功労を認められ加増を受けた」ということのはずである。
まわりの藩が同盟側についたところが多かったので東北では官軍についたことを誇れないとすれば変な話だ。
 この背景としては、明治維新と版籍奉還の間が短すぎたので、賊軍に対する処罰と官軍側についた藩への恩賞が十分でなかったという背景がある。そのことから、東北でも秋田、弘前、新庄など官軍側の諸藩は骨折り損になった一方、同盟側の諸藩の藩士たちは正当な排除されることなくそれぞれの地の有力者として残り、いまにいたるまで世論を支配しているのである。会津藩など悪政ばかりしていたために民衆は官軍を応援し、それが板垣退助に自由民権でなければならないと決意させたきっかけになったというようなことを忘れてはならないのでないか。

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