443.本当に真相究明や責任追及を徹底するのが賢明なのか?
  拉致問題について真相究明や責任追及はいまや国民的な合い言葉である。もちろん、真相究明を要求することは必要なのだが、強硬論を通して本当にいいのか心配になる。今回の事件について徹底した真相究明や個人責任追及というなら戦争での虐殺や人体実験、植民地支配での暴虐、日本による強制連行などいろいろ日本人がおかした過去の罪について、詳細に経緯を暴き、個人責任を追求するのがバランス上も必要であろう。「人道に対する罪は時効なし」とでも法律を改正して、いまほとんどが80歳以上の元日本軍兵士の方々など片端から取り調べ、逮捕したり、場合によってはアジア諸国に引き渡すくらいのつもりがあるのか。あるいは、おりしも、マッカーサー・昭和天皇会見録が公開されたが、天皇の役割などについて日本は詳細に明らかにする努力をしていない。
 フランスでは90歳をこえた元大臣などが収監されてひと騒ぎあったが、日本もそういうようにするつもりなのだろうか。そういう問題について、国家として曖昧に謝ることでごまかしているのは日本自身である。私は、そのことを一概に悪いとは思わない。国と国、民族と民族が和解するときには場合によっては過去に目をつぶるのも必要なことである。日本は「国」として謝るから個人責任の解明や追求は堪忍してくれというポジションを事実上とり続けているのでなかったか。かつてのB級C級戦犯処罰のあとみの悪さ、天皇制を存続した経緯などを考えれば、徹底追及しないことが平和と民主主義にとって相対的にメリットが多いというのも理解できないわけではない。
 その一方で、よその国については厳しいことをいうダブルスタンダードには首を傾げるし、パンドラの箱を開けて天に唾しつつあるのではと危惧している。イスラエルとパレスティナのような永遠の憎しみの関係に日朝・日韓をしないことがどれだけ大事なことかということである。一時の感情に負けて歴史の舵取りを謝らないためにあえて発言する。

442.ジーコ・ジャパン始動に思う

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 444.丹波への道

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