経営難が続いていた伏見桃山城跡の遊園地の閉鎖が決まったそうだ。そして、そのなかにある天守閣も取り壊すのだという。
伏見城は三度にわたって築かれた。最初は指月山でこれは地震で全面的に倒壊した第二期のものは木幡山上のもので壮麗なものだったらしく、秀吉はここで死んだのだが、関ヶ原前夜の攻防戦で焼失した。そして、第三期は同じ場所に家康が再建したもので、家康の将軍宣下はここで行われ、しばらくは、江戸幕府でなく伏見幕府だったのだ。
しかし、大坂夏の陣ののちには、二条城と大坂城に機能が移されて伏見城は全面的に壊され、建物は全国に移築された。
明治になって城跡は明治天皇御陵になった。そこで、戦後になって、京都経済界が、城跡の端っこのあたりに観光用の天守閣を復元したのである。きんきらきんで品がないという批判もあったが、大坂城天守閣が桃山風と江戸風のミックスなのと違い、こちらこそが純粋の桃山風である。
この伏見桃山城の天守閣は、伏見の町中からも、南方の旧巨椋池地域からも、京都駅周辺からもよく望むことができ、京都南部のランドマークとして貴重な存在であるので、ぜひ、残したいところである。
そこで、ひとつ提案をする。和風迎賓館もできることでもあり、11月3日にこんな一連の行事を天皇陛下もお迎えして京都でやってはと思うのである。
@明治天皇御陵に参拝。
A伏見桃山城跡の遊園地の敷地を使って「明治天皇博物館」のようなものを創り、毎年、企画展を
行い陛下も見学される。
B御所で文化勲章授与式を行う
C和風迎賓館で昼食会を開催する。
D御苑内にある明治天皇の生家を復元整備し、そこにある「祐の井」(明治天皇の産湯をとった
ところ)から陛下が水を汲まれる。
E京都国際会館で文化勲章受章者によるスピーチを披露する。
F歴代の文化勲章受章者など文化人を招きレセプションを行う。また、茶会を催し、ここで祐の井の
水を使う。