108.女帝はいいが配偶者をどうする

  小泉首相が、首相公選制に続いて女帝の可能性に言及。
しかし、本当によく考えてのことか。

  女帝については、前例もありさほどの不都合があるわけでない。
しかし、問題はその配偶者なのだ。
これまでの女帝は、いずれも、皇族の未亡人であるか、あるいは独身者であった。
だから、我が国では女帝のご主人というものの前例はないのだ。(※…詳細はこちら

  欧州などでは、珍しくはないが、たいていは、外国の貴族や王族である。
英国のエジンバラ公もギリシャ系であることはよく知られている。
なんだかんだいっても、「臣下」の男性が玉座に座ることには
どこの国でも気分的な抵抗が強いのである。

  日本の場合には、外国人を迎えるというのはもっと抵抗があるだろうから、
この問題はそう簡単な問題ではないのだ。
もし、女帝を認めるとすれば、かなり仕組みを熟考することが必要となろう。

  小泉総理はそのあたりまで考えて発言しているのだろうか。
首相公選でも問題の所在を十分に理解してうえでの「小泉案」などなしに、
懇談会に丸投げらしいが、こうした国家の基本にかかわる問題について
よく考えてこなかった人が総理になろうというのもおかしいし、
まして、軽々しい発言などするのはもってのほかでないか。

  この問題についての私の意見は「日本の国と憲法  第三の選択」(同朋舎・角川書店)
に詳しく書いてある。



 いわゆる一二五代の歴代天皇のうち女帝は、飛鳥時代から奈良時代にかけての
推古(三三代)、皇極(三五代)、斉明(三七代)、持統(四一代)、元明(四三代)、
元正(四四代)、孝謙(四六代)、称徳(四八代)と、江戸時代の、明正(一〇九代)、
後桜町(一一五代)の十代だが、斉明、称徳両帝は重祚であるから、
十代八人ということになる。

  推古天皇は欽明天皇(二九代)の娘で、敏達天皇(三〇代)の皇后であったが、
夫の死後、蘇我、物部両氏の対立や蘇我馬子による崇峻天皇暗殺事件などを経て、
混乱を収めるために即位し(三三代)、甥の聖徳太子を摂政として国政の改革を進めた。

  皇極、持統、元明の三帝は、いずれも自分の息子である天智、文武、
孫である聖武の各帝へのつなぎという意味を持つ。
皇極天皇は敏達天皇の曾孫で、舒明天皇(三四代)の皇后、
持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の皇后、
元明天皇は天智天皇の娘で、天武・持統天皇の子であった草壁皇子の妻であった。
いずれも、夫の死後、息子が即位するには早すぎ、
また、ほかにも有力候補者がいたために、子供の成長を待つために即位した。
元正天皇は、元明天皇と草壁皇子の娘で文武天皇の姉に当たり独身だったが、
元明天皇が高齢で引退したとき、甥の聖武天皇がまだ若かったので即位した。

  孝謙天皇は、聖武天皇と光明皇后(藤原不比等の娘)の子であるが、
なかなか両親に皇子が生まれないために、藤原氏の圧力でつなぎとして即位した。
しかし、のちに、怪僧弓削道鏡との癒着で失脚したことはよく知られている。

  明正天皇は、後水尾天皇と徳川和子(二代将軍秀忠とお江与の方の娘)の
間にできた娘だが、皇子に恵まれず、
また、天皇は紫衣事件などで幕府が対立する中、
強引に娘に譲位して抗議の引退をした。
明正天皇はこれで独身を貫かざるを得なくなった。

  後桜町天皇は、桜町天皇の娘で桃園天皇の姉だが、
桃園天皇が崩御したとき、その息子の栄仁皇太子(のちの後桃園天皇)が
幼少だったために、叔母である彼女が即位した。

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