121.奈良の古墳は邪馬台国時代

  奈良の古墳が邪馬台国時代と判明したというので、
「邪馬台国畿内説有力に」とか報道しているが馬鹿らしいことだ。
邪馬台国が九州にあって、その同時代にもっと栄えた国が
畿内にあっても少しもおかしくない。
中国と付き合っていた国がいちばん進んでいたと考える理由は全くないというか、
中国コンプレックスの所産だ。
それから、邪馬台国と結びつけると商売になるという意図も見え隠れして、
考古学者にありがちな商売上手にはうんざりだ。
そんな風潮が偽石器事件を生むのだ。

(以下は「日本の国と憲法  第三の選択」からの関連部分
「日本の国と憲法  第三の選択」の詳細については、こちら

  邪馬台国がこれほどまでに注目される背景には、
中国にまで使節を出したこの国は、その時代の他の倭人の国や、
あるいはその前後の時代の国々と比較しても強い勢力を誇っていたはずだ
という気持ちがあるからである。
だが、国が安定して強ければむしろ鎖国政策に向かうことも多いのは、
平安時代や江戸時代をみても明らかである。

  九州説と畿内説の間で、「こちらの方が先進地域だったから邪馬台国はここだ」といった
調子の論争がしばしば行われているが、これも理解しがたい話である。
とくに畿内説については、当時、畿内の方がすでに北九州より
大きな生産力を持っていたらしいということ自体が、根拠のひとつになっているようだ。
だが、邪馬台国は九州にあってもそれより強大な国がすでに畿内に成立していただろうし、
邪馬台国が魏に使いを送ったのは、その政治的立場が不安定で
藁にもすがりたい気持ちだったからかもしれないのだ。

120.逃げるな、父親
〜小学生の子を持つ父のための17条
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