299.「平安京の道と現在の道路」

  「HP(ホームページ)京都」で平安京案内をしたが、そのエッセンスを掲載する。
 平安京はだいたい五キロ四方の正方形をほんの少し南北に長くした形をしている。ワンブロックは五五〇メートル四方で、東西には八区画になっている。南北は一条から九条だからやはり八ブロックのはずだが、一条と二条の間が二・五ブロック分あるから九・五ブロックということになる。
 九条は東寺の門前を走る通りで、昔の朱雀大路である現在の千本通りのとの交差点に羅城門があった。かつての朱雀通りは幅が八五メートルあったが、このあたりの千本通りは幅五メートルほど。それを北へ歩くと新幹線で行き止まりになるが、そこが八条である。このあたりでは狭い道だが京都駅の八条口あたりでは広い。
 七条は京都駅を越えて東本願寺や西本願寺の南側で、六条はいまや細い通りになっていて、京都の人でも知らない人が多いが、町中にひっそりと生存。国道一号線、九号線になっている現在の五条はかつての五条と六条の中間で、現在の松原通りが本来の五条である。だから弁慶と義経の対決も松原橋の出来事。
 京都のメーンストリート四条は、昔のまま。三条は東海道の終点で明治のころいちばん栄えた街で、最近は町屋を生かしたお店も多く再び脚光を浴びている。二条通りは、寺町通を境に西側は昔の通りで、二条城で行き止まりになる。寺町から東では少し南の方に折れて二条大橋もそこにかかっている。
 二条はかつての大内裏の南を区切る通りで、二条駅近くの千本通りとの交差点に朱雀門があった。大内裏の中心施設である大極殿があったのは、千本丸太町の交差点である。石碑が立っているのは少し北西だが、正しい位置ではない。一条は現在の京都御所の西にある虎屋のあたりから始まるが、その東には大文字山が聳える。
 南北の通りで真ん中を走るのは朱雀通(現千本通)だが、そこから、東には大宮通、西洞院通、東洞院通、寺町通が等間隔で並ぶ。堀川、烏丸あたりは昔からあったがメーンストリートではなかった。寺町は、御所の近くだとだいたい都の東端に一致するが、それより南ではやや西に曲がっている。
 西は御前通、そのあとは現在の通りと一致しないが、だいたい佐井通、そして、妙心寺の東側にもうひとつ通りがかつてはあり、そして、西側が西の京極になる。平安京の北西の隅は現在の御室小学校のあたり、そこから西京極野球場、さらには、桂大橋の南西あたりというように西京極通は走っていた。
 この南北五五〇メートルの正方形のブロックは、東西と南北にそれぞれ小さな通りで四等分。さらに、豊臣秀吉は、そこに南北だけもう一本の通りを通し、南北に長い短冊の左右を表にするウナギの寝床的な町屋が完成したのである。
 

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