415.田中康夫の再選について
  長野県の田中知事と県議会の対立は出直し知事選挙での田中康夫再選でとりあえず知事の勝ちになった。だが、来年の統一地方選挙では反田中派があいかわらず多数を占めるだろうから結局はもとと何も変わらないということになるだろう。首長選挙と議会選挙の両方で勝たなければ痛み分けというように見るべきだというのが大事である。まったくの茶番で「どちらもどっち」というのが心ある人たちの感じ方だと思う。
 今回の長野の騒動は、県会が田中知事が議会を解散するとみて勝負を仕掛けたのに対して田中知事が巧妙に切り返したと見るべきであろう。田中知事を追いつめるならほかにもいくらでもタネはありそうなのをどうしてダム問題を選んだかはよく分からない。全国マスコミは反公共事業に好意的だし、その裏には財務省がいる。うがってみれば、田中知事の影の支援者は財務省というべきであろう。本人たちは意識していないだろうが、小泉、猪瀬、田中といずれも財務省の掌の上で踊っているだけといえばいいすぎだろうか。
 いずれにせよ、田中知事は全国の知事が高速道路問題で小泉首相の方針に抵抗するなかで財務省の数少ない味方でもある。なにしろ長野県はオリンピックを機会に高速道路など必要なものは全部やってしまったから例外的に満腹状態なのだ。
 知事と議会の感情的な対立がもつれてこうなったのは、そもそも制度的な欠陥があるからだ。
 そもそも知事や市長であれ大統領や首相であれ公選で選ぶ制度をとることは議会選挙と矛盾した結果が出ることがあるのは不可避である。首相公選についての議論は、田中真紀子と田中康夫のダブル田中で懲りたらしくすっかり議論が冷えた。真紀子さんについては議論する気も起こらないが、康夫さんの方はいろんな意味で公選知事についての重大な問題提起を含んでいる。
 私は果たして公選という制度そのものがよいかについても疑問を持っている。ヨーロッパのように議会選挙の名簿搭載一位がそのまま知事や市長候補というやり方の方が優れているようにも思う。県会議員の中から知事を選ぶなんて面白くもないと多くの人が考えるだろうが、こういう方式をとれば議会選挙は知事選挙としての性格が強くなり魅力的な知事候補を立てないと議席数のほうが減ってしまうから日本の公選知事よりよほど立派な人が知事になっている。
 また、知事を公選で選ぶという枠内でも、不信任が可決された場合の扱い、議員選挙制度の改革などいろんな制度的問題があり、いちど、しっかち議論すべきだ。
 そうした根本的な制度論はともかくとして、今回の件も知事と議会は選挙民が合い矛盾した判断を下したということを現実として受け止め妥協点を見出すべく努力すべきであろう。議会は田中知事である以上はいったん決まった工事も事業継続されないこともありうべしと考えるべきだろうし、知事も議会で過半数をとれていない以上はダムは一切だめという姿勢はとるべきでないのではないか。知事選挙の公約は守らなくてはならないが、議会選挙の公約を守るのは悪だと言うはずもない。

414.脱ダム宣言についての私の意見

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416.「親日派の弁明」という本の書評を

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