2.九州・沖縄サミットと幻の京都サミット
 九州・沖縄サミットが始まった。
中国への臣従の省庁である「守礼門」を記念の紙幣のデザインにするとかいう
歴史感覚ゼロの脳天気ぶりで、これまた、微妙な問題を含む首里城の主殿を
晩餐会の会場に使って各国首脳にどんな説明をするのか心配ですが、
ともかくも、地方で初めてのサミット開催はめでたいことです。

 いまとなっては、抵抗感なく受け入れられているこうした重要会議の地方開催ですが、
ここまで来るのにはたいへんな紆余曲折がありました。
そのはじまりは、一九八六年の京都サミットへ向けての提案でした。

 この提案は、ワコールの創始者である塚本幸一さんが提案され運動されたものですが、
もとは、私がおすすめしたものです。一九八二年に私がフランスに留学していたとき、
ベルサイユ宮殿でサミットが開かれ、私もお手伝いをしました。
すばらしい文化イベントでした。

 第一回の東京サミットは赤坂の迎賓館で開かれましたが、ベルサイユのイミテーションです。
やはりサミットは世界に報道されるのですから、日本文化を代表する場所ですべきだと
思いました。それに、サミットは各国の首都で開かれるとは限らなかったのに、
日本は当然のこととして東京というのはおかしいと考えたのです。

 京都には、せっかく国立の国際会議場までつくって国際交流の中心にしようとしたのに、
政府もつい面倒くさいので国際的なイベントを東京でやってしまうような風潮に
警鐘を鳴らしたかったのです。

 そこで、サミットを京都で、しかも、たとえば、二条城のような歴史的な施設で行っては
どうかということを、留学から帰国したあと、滋賀県出身の郷土の先輩でもある塚本さんに
提案したのです。二条城の御殿の各部屋の面積を検討して、ベルサイユ宮殿と比較して
大丈夫ということも確認しました。

 「明治維新」は、アジアの覚醒のきっかけになった世界的な大事件と外国でも
認められています。大政奉還というそれなりの重みをもった事件があった部屋で
サミットをやるということは世界に大きなアピールになったはずです。

 そして、塚本さんを中心に誘致運動が四年間ほど行われたのですが、
結局は警備のうえで自信がないという理由でこの計画は実現しませんでした。

 しかし、この運動を通じての問題提起は、その後、関西における重要な国際会議の
開催につながっていきました。東京以外での要人警備体制については法律の改正まで
行われ、それが一九九五年の大阪でのAPECサミットの開催につながり、
さらにこれが、今回の九州・沖縄サミットにつながりました。

 京都の国際会議場についても、ホテルなど周辺の施設整備が進んで、
それが数々の国際会議誘致を成功させています。ホテルの建設にも反対論はありましたが、
周辺に住宅地や公園しかなく、主要ホテルからも不便な会議場は
使い勝手が悪いことこのうえなかったのです。

 さらに、京都御苑内に和風迎賓館の建設が進んでいますが、
これも、一連の提案の延長線上にあるものです。
御苑の中に、迎賓館をつくることに、景観問題からの反対論もありますが、
私に言わせれば、これはむしろ、歴史的な景観と用途の回復です。
現在のただっぴろい空き地や樹木が並ぶ京都御苑の風景は明治以降、
即位礼のために軍隊などを多人数入れるためにああしたので、
御所を囲んでぎっしりと建物が並んでいるのが本来の風景です。
一九八二年に運動を始めたときには、誇大妄想だとばかりにいわれましたが、
私の投じた一石がこのように発展してきたことを誇りにしていますし、
この九州・沖縄サミットを機会に二年前になくなった塚本さんのことをもう一度
思いだして欲しいと思っています。
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